もう一度、東京タワーが見たくて。――訪問看護と、ある夫婦の物語

人は、どんなときに「希望」を思い出すのだろう。

毎日見ていたはずの景色が、ふと遠くなったとき。
それでも、もう一度だけ――と願った瞬間。

今回は、あるご夫婦と東京タワー、そして訪問看護の物語です。


東京タワーがくれた時間

東京タワー。
それは、あるご夫婦にとって、
“毎日の終わりを知らせてくれる小さな灯り”でした。

夕食を終え、静かに屋上へ出て、
ふたりで黙って眺めるその時間。
それは言葉以上に心を通わせる、特別な時間だったといいます。

でも、ある日を境にその光は、遠くなってしまいました。

ご主人の体調が急激に変化したのです。


少しずつ閉じていく毎日

最初は、「ちょっと疲れやすくなっただけ」と言っていたのが、
気づけば数段の階段で足がもつれ、
外に出ることさえ不安になっていきました。

「東京タワー、まだ見えてるかな…」

その言葉に、奥様は笑って応えたけれど、
その“寂しさ”が本当は、ふたりとも分かっていたのかもしれません。


訪問看護がもたらしたのは、「目標」

そんな時に始まったのが、訪問看護でした。
担当した理学療法士が最初に聞いたのは、こんな言葉。

「どんなことができるようになったら嬉しいですか?」

ご主人は少しだけ考えたあと、こう答えました。

「……また、屋上から、東京タワーを見たいんです」


1歩、また1歩。

そこから始まった、週2回のリハビリ。
最初はベッドの横で立つだけでも、
全身が震え、数秒で座り込んでしまった。

でも、ふたりとも諦めませんでした。
一歩。さらにもう一歩。

日に日に、わずかでも「できる」が増えていったのです。


そして、再び屋上へ。

ある朝、ご主人は奥様の手を取り、笑って言いました。

「今日、登ってみようか」

その日、久しぶりにふたりは屋上に立ちました。

夕焼けの空の下、東京タワーの光がゆっくりと浮かび上がっていく。

「まだ…ちゃんと、見えてたね」

奥様の目から、ひとすじの涙がこぼれたそうです。


医療事務も、そのそばに。

医療は、奇跡を起こすことはできないかもしれません。
でも、“奇跡のそばに立つこと”はできる。

その支えの一端に、
私たち「医療事務」も、そっと立ち会っているのです。


訪問看護は、人生の伴走者

訪問看護は、単なるサービスではありません。
ひとりひとりの「もう一度〇〇したい」を支える、人生の伴走者。

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